台湾 玉山(標高3952m)を登頂

黒川 亮さん

今回の行程の概略地図 
塔塔加登山口で チーム一同
排雲山荘までの道中
頂上近くで
玉山頂上で 王リーダーと
三角点標石 
玉山主峰から北峰を望む 

 昨年、台湾の中部山岳地帯にある八通関古道という玉山の麓の一部を歩いてきましたが、今年は玉山主峰(標高3952m)に登ってきました。

 玉山は日本植民地時代には新高山と呼ばれていました。私の父は台湾総督府に勤め、地形測量、地形図作成などの仕事に携わっていて、昭和8年には新高山登山地図を初めて作成しています。 
 この登山地図は台湾から引き揚げる時に持ち帰ることが許されず、その地図が何処かに現存していないか以前から探していたのですが、数年前インターネットで台湾の玉山国家公園管理処のサイトを見ていた時に、その管理処が所蔵している新高山古地図が掲載してあり、地図の左下に父の名前が記されているのを確認した時には思わず声をあげてしまいました。

 このような経緯があるので、玉山登山を計画し、昨年から準備を続けてきました。玉山登山には、玉山国家公園管理処に60日前にパスポートのコピーとともに申請書を提出する必要があり、1チームのメンバーは7名以上、チームごとに1名の原住民族(昔の言い方では高砂族)のポーターを付ける(原住民族の雇用機会増大のため)などの条件があります。たまたま台湾山岳協会の玉山登頂ツアー募集を知り、こちらは1名だが、どこかのグループに潜り込ませてくれと依頼したところ、OKとなり10月6〜8日の登山となりました。
 台湾の小学校時代の仲間も誘ったのですが、体調に自信がないと皆に断られ、私自身も年齢的体力的にこれが最後のチャンスと思い、思い切って1人で参加することにしました。

 10月6日午後6時に台北火車站前に集合、全員で9名、1名は台湾山岳協会メンバーでリーダーの王さん、1名は女性で、私以外は全て台湾の人で30代と40代、お互いの会話は全て台湾語で中国語は使用せず、私との間は簡単で怪しげな英語と中国語で、後は身振り手振りで意思を伝え合いました。
 マイクロバスで出発、高速道路3号線で嘉義まで約3時間。嘉義から東に折れ、10時過ぎに阿里山の手前の奮起湖の民宿に到着。玉山登山者用の新しい民宿で、部屋は清潔で、きれいなバスが付いているが、お湯は出ず、大型のテレビが置いてあるが地形的にほとんど映らず、ブームに乗って建築設備業者が高い設備を無理やり設置させたという感じです。

 7日朝お粥の朝食を取り、マイクロバスで玉山登山口の塔塔加(トウトウチャ)に、ここの管理処に登山許可書を提出し、玉山登山心得のビデオを見せられました。バスで数分の玉山登山口の標識のあるところまで送ってもらい、いよいよ登山開始。
 塔塔加は標高2900m、ここから8.5キロメートルを約5時間かけて標高3400mの排雲山荘までが1日目の行程。
 ここの行程が一番辛いと予想して、今年の春から、リュックにダンベルと水を詰めて10kgを背負い、週に1、2回往復約4時間歩いたり、筑波山にも2回登り、8月には富士山に登り高山病にも慣れるようにトレーニングをしていたので、かなり楽に行けると思っていたのですが、距離が長く、気温が高く、昨夜の寝つきが悪かったのがたたり高山病になってしまい、標準5時間のところ1.5倍の7.5時間もかかり、午後4時30分に排雲山荘に到着。
 ポーターが担いできた材料で料理した食事が出るが、油のきつい料理で疲れ切っている体が受け付けず、ご飯の上に汁の多い野菜と豚の炒め物を盛って少し食べるのがやっと。王さんが入れてくれた烏竜茶が何とも言えないほどうまいと感じました。
 山荘は2段ベッドで一人のスペースは寝袋の幅だけ。早々に横になるが、ポーター達が隣の部屋で酒を飲み大声で歌を歌いだすが誰も文句を言わず、寝息が聞こえてくるが、私は疲れ過ぎで寝付けません。

 8日午前2時起床。3時出発、山荘に宿泊していた約150人がほとんど同時刻にスタートするので、山道は夏場の富士山なみに込み合っています。すでに高山病にやられていて、頭痛はしないが、すぐに息があがり、若い人達を次々にやり過ごし、ゆっくり登り続けます。樹木がなくなると岩場が続き、張られた鎖を頼りに、大きい段差の岩を這い上がり、6時30分やっと頂上にたどり着くことができました。
 素晴らしい天気で360度見渡すことができました。頂上はこれまで写真で見て想像していたより狭く、玉山主峰と記した石碑の前には証拠写真を撮る人の列ができています。石碑の脇に三角点の標石があり、その標石に玉山頂上とあるのを確認できました。この三角点標石が日本の陸地測量部が設置した標石かどうか、気になっていたのですが、玉山と彫られているのを確認したので、疑問が氷解しました。

 風が強く、気温も低いので、記念写真を撮る列に並ぶのをあきらめ、列の脇で写真を撮り、下山開始。この写真で後ほど登頂証明を貰うことができました。
 今朝出発した排雲山荘の近くまで下ってきたところで、グループの一人が追い越して行く、かなり前にいるはずなのが何故と思っていたが、後で聞くと、彼は4時半ごろ頂上に到達し、そこからさらに玉山北峰まで足を伸ばしてきたとのこと。玉山北峰から玉山主峰を眺めた景色が最高だそうで、このホームページの先頭の見出しの写真がそれです。何か悔しい思いがしましたが、若い人の健脚に対抗することは無理と自分で慰めました。

 昨日の出発点の塔塔加に午後2時に戻り、迎えのマイクロバスで台北に向かい、途中水里という町で食事を取ることになりました。ビールを飲みながら、ここ水里にある玉山公園管理処の本部に私の父の描いた地図があるのだがと話すと、今日は休みで中に入れないでしょう、また台湾に来なさいと慰めてくれました。
 午後10時に台北に戻り、念願の玉山登山が終わりましたが、疲労が治まるにつれ、また水里まで行って父の地図に会って見たいという気になっているところです。
                     (黒川 亮 記)
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